理念を構造化し、場を設計する。
藤代 健介(ふじしろ けんすけ)さん
株式会社prsm 代表取締役
「社会的に意義を持っているが、
実現できていない想いに対して場を与えていく。」
- -藤代さんの取り組みを教えてください。
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「社会のコミュニティの問題」に取り組んでいます。
人が目的を持って集まれば、チームができます。
家族でも、企業でも、国家でも、部活でも、何でもいいのですが、チームが目的を遂行する上で、どんな「場」がふさわしいかを考えています。例えば今、東北の震災で被災した方が避難する地域で、コミュニティセンターづくりに携わっています。
その地域には仮設住宅もありますが、被災せず震災前から住んでいる方々もいます。
仮設住宅で暮らしている方と以前からの住民の方では、コミュニティセンターへ期待することも違います。その中でこの事業を起こそうとした依頼主は、この状況を変えたいと思って奮起して相談してくださっています。
依頼主の想いと、その場にいる人の期待を、昇華した先に目指すべき「場」があると思っています。
- —これまでの「場」づくりとの、違いはなんでしょうか?
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これまでの建築家の役割は設計図を描き、家や建造物などの形を与えることでした。
もちろん、それぞれ目的があってつくっていますが、「あの建築家の家は、モダンなスタイルがステキだ」というように、建築家の作家としての価値が評価されたりして、芸術性が色濃くでていた面もあると思います。それに対して僕は、どんな人たちが、どんな思いをもって、どんな目的で、どのようにして、その場にいるべきなのか。
そのような思考のプロセスを経て生まれる一つ一つの場面を、構造的に紡いでいったものが場であり、それに形を与えるのが建築であるという考え方をしています。建築家の役割を否定するつもりはありません。
ただ、その前に「場」という設計のための要件定義をする人が必要であると思っています。 - —藤代さんは、これまでの建築家や設計者とも違いますね。
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以前は、デザイナーと名乗っていましたが、最近は、ファシリテーターと編集者を融合させた役割と言った方が近いような気がしています。
たとえば、教室をつくるとします。
通常なら、校長先生からどんな教室にしたいかを伺い、設計図を描いて、さぁ工事と進んでいくでしょう。私の場合であれば、仕事の依頼側である校長先生に加えて、教室を使う先生方、そこの生徒たち、作り手のプロなど教室づくりに関わるさまざまな人を集めて、教室ってなんであるの、そこで何がしたいの、どうなったら体現できているの、というようなことを、それぞれの目線でアイデアを出し合いながら、教室がどんな「場」になったらいいかコーディネートし、コンセプトを作っていきます。
そんな議論を何度も続けていき、アイデアをまとめ、編集していくと、朝は気持ちのいい光が入ってきて、夏はプールで泳ぐ声がかすかに聞こえて、というように、教室で過ごすストーリーが具体的に膨らんでいくのです。
その場面を切り取れば、つくるべき教室のイメージが導き出せる。
そこには、学校の理念があり、先生や生徒たちの思いがあり、プロとしての提案が込められています。僕の仕事は具体的な成果物がないので、編集し、構造化した理念やストーリーを1冊の本にまとめるようにしています。
場ができた後、読み返してもらえれば、作る過程に関われなかった人でも、その「場」の理念から具体的にやることまでのプロセスを理論的に理解してくれると思うのです。建築は完成したら、おしまいという感じがあります。
ですが、「場」はできてからが、はじまりですよね。
料理で例えるなら、場は常に更新される料理のようなもので、建物は料理を作る調理器具で、僕が作っている本はそのレシピのようなものでしょうか。
「身を置く環境が、この先の自分をつくる。」
- —建築家でも、デザイナーでもない藤代さんは、どうやって生まれたのでしょうか?
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最初は、なんとなく選んだ建築の道でしたが、設計の授業が楽しくて仕方なくて、大学では主にそれしかやっていなくて、そのおかげで設計の成績は学内で常に上位でした。
ただ、建築が好きになり過ぎて、どんどん建築が嫌いになったのです。建築学科は、あくまでも学校の中での学びですから、社会で活動する建築家とは違います。
クライアントから依頼されて、設計するわけではありません。
実際の建物をつくることもない。設計の授業は、テーマが与えられ、それに関係したものを徹底的に調査をして、そこからコンセプトを導き、形を与え、それら全てを正しく伝えるためのコミュニケーションをする。
いわば、つくるまでの要件定義のプロセスです。
私は、そのプロセスがとても面白く、大好きでした。でも、実際の建築家は、建築のさまざまな条件に縛られ、それに対して向きあうことに、力をどうしても費やさなければいけない。
そうするとそこに必要な本質に向き合うのではなく、建築という箱の中でそれを解決しようとするように見えてしまいました。学生だった当時は、要件定義としての建築を突き詰めれば突き詰める程、その現実に絶望していきました。
そんな私に希望を与えてくれた、恩師が二人います。
一人は、現在、メディアアートの巨匠のような存在になっている方です。
建築がバックボーンにあり、それを考え方として捉えることで、ジャンルを軽々と飛び越えて活躍していました。
僕はそれまで、ずっと建築のなかだけでもがいていましたが、建築という領域に縛られる必要はないということを学びましたね。もう一人は、地方の自治体や住民など多様な人達と共に、街の未来像をつくっている建築家の方です。
現実の建築は人のためになっていない、と絶望していた私に、建築の可能性を示してくれました。 - —建築とサービスデザインという2つの異なる環境が藤代さんをつくったのですね。
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場の設計を仕事にしていますが、私は場の力を恐れているし、信じているのです。
どの場に身を置くかによって、人は大きく変わると思います。
これまでの人生を振り返ると、意識的に、さまざまなチームに所属するようにしてきました。
場を複数持つことで自分の中での多様性を担保していました。複数の、多様なチームに所属していると、自分を見失うのではないかと思うかもしれませんが、ベン図で円が増えれば増える程、重なる共通部分の色が濃くなるように、むしろ、自分の軸がみつかっていくと思います。
その時に大切なのは、チームに明確な理念があり、その中で自分の役割がはっきりしている。
そしてお互いが尊敬できるメンバーがいることです。大学時代は、大学間を超えた建築学科の集まりに所属しながら、学科内では、通常の授業のクラスやゼミとは別に、コンペにチャレンジするチームをつくったりしました。
文化祭がつまらなかったので、裏文化祭を企画運営するチームをつくったりもしましたね。多様な環境に身を置き、さまざまな刺激を受けながら、自分の強みを見つけ、磨いていった結果、今の自分がつくられていったのだと思います。
「小さな成功体験を積み重ねていった。」
- —大学は建築学科です。進路を決めるきっかけは?
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進路を決める際に、文系か理系かの選択を迫られたものの、どの学部にも興味がわかなくて…。
仲のよかった友人が理系だったので、理系にしようか、その中だと唯一建築が芸術っぽくてかっこいいかなというくらいで、すごく思い入れがあって進路を決めたわけではないんです。ただ、新しいもの好きではありましたね。
高校はできたばかりの県内のモデル校で、公立なのにエレベーターが付いてたり、校舎の壁はパステル調だったり。
普通の学校なのに、建築物として妙に斬新な建物でした。
どこかで建築を選ぶきっかけに影響していたかもしれませんね。 - —熱中していたことは、何ですか?
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バレーボール部に所属していて、1年からレギュラーで、県でベスト16まで行きました。
今考えるとたいしたことがないのですが、当時の自分には自信を与える小さな成功体験だと思っています。これまでの人生、大きな成功体験はないのですが、大きな挫折もないんです。
小さな成功体験を積み重ねていきながら、徐々に自信をつけ、新しいことに挑戦していったら、少しずつ自分が大きくなっていった気がしますね。
高校時代は、まさか起業してこんな大きいプロジェクトに関わるなんて思ってもいませんでしたから、ずいぶん遠くまできたなぁと思います(笑)。
ただ、昔から目の前の勝負には、リスクを取って挑んでいた気がしますね。
高校も実はスポーツ推薦でも入れたのですが、わざわざ一般入試を受けて入学しています。
結果は同じでも、プロセスにこだわっていたのだと思います。
「自分にバツの悪い人生は、歩まない。」
- —人生の先輩から高校生へメッセージをお願いします。
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私は現役では希望の大学に入れず、1年間浪人しました。
今、起業して自分で会社を経営してみると、浪人生活は、起業や独立に似ていると思います。
何時に起きてもいいし、自分でやるべきことを決められる。 一見、自由ですよね(笑)。
ただ、仕事はやり直しが利くし、何度もチャンスはめぐってくるけれど、受験は一発勝負ですよね。しかも1年間、待ちに待ったワンチャンス。その意味では、起業や独立よりも、受験勉強の方がツライかもしれません。
だからこそ、頑張ってほしい。受験を頑張ることは、自分を大きくする成功体験だと思います。結果ではなく、頑張るというプロセスを大切にしてほしい。
本当は勉強しなければならないのに、サボってしまえば、自分に対して、現実から目を背けた後ろめたさが残ると思います。
そんな自分にバツの悪い人生だけは選ばないでほしいです。
その頑張りが成功体験となり、きっとあなたを大きく成長させるはずですから。
藤代 健介(ふじしろ けんすけ)さん
株式会社prsm 代表取締役
・1988年千葉生まれ。26歳(2014年3月現在)。
・東京理科大学建築学科卒(TUS)。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科卒(KMD)。
・2012年株式会社prsm設立。理念を構造化し、それを内包する場を設計。
・「広める価値のあるアイデア」を理念としたTED×Tokyoの空間デザインをプロデュース。
・KMDにて、東京、ロンドン、ニューヨークを繋ぐデザインプログラムを担当する研究員も手がける。
・東日本大震災の被災地におけるコミュニティ設計、フィリピンでの若者教育のためのラーニングセンターのコンセプト設計なども手がける。