すべての人たちに、平等にチャンスのある世の中をつくる。
慎 泰俊(しん てじゅん)さん
認定NPO法人Living in Peace 理事長
「お金がなければ、
正しいことも続けられない。」
- —慎さんが代表をつとめる認定NPO法人Living in Peaceの取り組みを教えてください。
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貧困は国内外で数多くの悲劇をもたらしています。
年間800万人もの人々が、貧困から抜け出す機会すら与えられないまま、貧しさゆえに亡くなっています。日本においても、貧困と格差は確実に拡がっています。
3日先が見えない生活をしている人も少なくありません。私たちのミッションは、「機会の平等を通じた貧困削減」です。
噛み砕いて言えば、「すべての人にチャンスをあげたい」ということですね。具体的には、海外と国内で、2つのことに取り組んでいます。
海外向けには、「マイクロファイナンス」といって、元々途上国などで銀行からお金を借りることができなかった貧しい人たち向けに、お金を貸している銀行に投資するための活動をしています。
今まで6回、2億円の投資を行ってきました。国内向けには、児童養護施設の支援をしています。
新たな施設をつくったり、子どもたちが大学に進学するための資金調達を行っています。 - —マイクロファイナンスは、貧しい人々が、少額の借り入れを元手に事業をはじめて、貧困から抜け出すきっかけになっていますね。しかし、2億円とはすごいです。
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2億円があれば、のべ1万人もの人たちが、自立への一歩を踏み出すことができたことになります。
その人たちの働く姿を見ることができるのはうれしいですよね。児童養護施設では、新たな施設つくりのためのお金集めをしました。
子どもはできるだけ家庭に近い環境で育つことが望ましい。
大多数を占める、合宿所のような集団生活を送っていた施設ではなく、家庭に近い環境を与えられたことで、きっとそこで暮らす子どもたちのこの先の人生は変わっていくと思います。子どもは家庭を選べません。
親の離婚や金銭的な問題、児童虐待など、不幸にして、施設で暮らさざるを得なくなってしまった子どもたちに、ほかの子どもたちと同じようなスタートラインに立たせてあげたい。
チャンスを平等に与えたいんです。
「くしゃくしゃの封筒に入った100万円が
人生を変えた。」
- —Living in Peaceをはじめたきっかけは何だったのでしょうか?
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元々、私は人権弁護士になろうと思っていました。
それで大学時代は、人権運動にも積極的に取り組んでいたのですが、当時の活動ではなかなか世間の共感は得られにくいと感じたんです。
そして、活動している人たちは、総じてお金があまりありませんでした。いくら正しいことをしても、声が小さくては世の中を変えられない。
自分からお金を生み出せなければ、正しいことも続けにくい。
ならば、まずはビジネスだなと、その中でも金融のスキルを身につけようと思ったんです。
それで、大学を卒業後、外資系の証券会社に入りました。 - —人権運動から金融の世界へ。大きな転換です。
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金融の世界で働きながら、大学院にも通いました。
かなりキツかったのですが、1年半通って残り半年というところで少しだけ自分に余裕ができました。
その時に「何かしたい」と思ったんですね。それで、カンボジアに行き、農村で現地の方と一緒に寝泊まりして、田植えの手伝いをしたときのことです。
現地のおばあさんから「あんたジャマだ」って言われてしまったんです(笑)。
でも当たり前ですよね。
得意ではないことで貢献しようとしても、役に立たないんですよ。
やっぱり自分が得意なこと、周りから必要とされるスキルを磨いて、社会貢献をした方が大きな価値になると思いました。 - —金融の世界で培ってきたスキルを社会に活かそうと思われたのですね。
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元々金融の世界の人間ですから、マイクロファイナンスに可能性を感じました。
ただ、とてもいい仕組みなのですが、まだまだ資金が足りていません。
いまも30億人の人が融資を受けることができないでいる。
それで、投資をするファンドをつくろうと思ったんです。 - —昔から、途上国への問題意識があったのですか?
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当たり前の知識として知っていた程度で、ものすごく関心があったわけではありません。
問題意識というものは、体験に根づいたところからしか生まれないと思っています。
私が、貧困や金融に対して問題意識をもっているのも、やはり自分の体験がベースになっています。
子どもの頃から決して裕福ではなかったですし、進学する時にはお金でとても苦労しました。とくに大学院に入学する際には、あと1週間で入学金の100万円を用意しなければならなくて。
当時の私には、ものすごい大金です。
途方に暮れていたとき、父がどこからかお金をつくってきてくれたんです。今でも、よく覚えています。
他人のためには頭を下げるけれど、身内のためには決して頭を下げないような人だった父が、お金の入ったくしゃくしゃの封筒を「もっていけ」って。それでなんとか大学院に入学できたんです。
あのタイミングで父が入学金を用意してくれなければ、人生はまったく違うものになっていたと思いますね。 - —そういった原体験が、貧困問題に関心を向かわせた。
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私にとっては、100万円で大きく人生が変わったわけで、貧困者に対して自立するためのお金を貸し付けるマイクロファイナンスに興味を持つきっかけにもなっています。
自分が貧乏だったら、もっと貧乏だったら大変だよなとか、夫婦喧嘩の絶えない家で育ったら、児童虐待はもっと大変だろうなとか。
問題意識を持つのは、自分の経験の延長線上にあるのだと思います。
「日本で一番サッカーを練習した
補欠部員でした。」
- —どんな高校時代でしたか?
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部活はサッカー部。
365日、毎日朝から晩まで練習していました。
日本で一番練習をしていたと思うくらい、やっていましたね。ただポジションはゴールキーパーだったので、仲間がいれば、シュートしてもらえるのですが、一人だと何もできないんですよ。
だから、やたらとリフティングばっかり上達していました(笑) - —試合でも活躍されていたんですか?
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才能がなかったので、レギュラーになれなかったんです。
日本で一番練習していた自信はあったのに。
でも、この原体験が今の私をつくっていますね。どんなに下手でも、必死で努力すればある程度までは成長する。
一方で、素質や才能がないものを選んでしまうとダメ。当たり前のような話ですけど、身をもって体験することは重要だと思います。
子どもの頃、誰もが礼儀や行儀を学んでいるはずなのに大人になってもできない人はたくさんいます。
それは、人に感謝することや挨拶することの大切さを実感したことがないからなんです。結局、人にとって大切な学びは、体験しないと得られないことなんだと思いますね。
「望みが叶わなかったときにこそ、
人は大切な学びを得られる。」
- —人生の先輩として高校生へのメッセージをお願いします。
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まずは動くこと。
興味、関心のあることに対して、もう無理っていうくらいまで頑張ってみることで、見えてくるものがあるはずです。大切な学びって、望んでいたものが叶わなかったときにこそ、得られるものなんだと思います。
私はサッカーが大好きでしたが、どんなに努力しても望むような結果が得られず、何度も悔し涙を流しました。
でも、だからこそ、あそこまで努力したし、その結果、今にも活きている学びを得ることができたのですから。 - —ただ、頑張ることは簡単ではありません。どうしたら頑張れますか?
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もちろん最初はキツいです。
でも、どんなに大変なことでも、3ヶ月続ければ習慣になり、慣れてしまうものです。
じゃあ、いかに最初の3ヶ月を続けるか。まずは人前で宣言すること。
私は毎年、年始に今年の目標を大勢に向かって宣言するんです。
そうすると、もう引っ込みつかなくなって、やるしかなくなるんですよね。そして、自分を振り返ること。
日記を書くこともいいと思います。
今日1日を振り返ることで、明日はこうしようと、自然と次につながっていきます。この2つを3ヶ月続けられれば、たいがいのチャレンジを習慣化することができると思います。
- —働きながら、社会を変えようと取り組む慎さんを支えるものは何ですか?
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「人生をかけるべきこと」は、案外直感的なものなんだと思います。
好きなことって、直感でわかりますよね。
それと同じで、やりたいことも、直感でわかるはずなんです。「俺は、これがやりたいんだ」
「私は、これが好きかも」
と、時には、そんな風に直感に従ってみるのもいいと思います。頭で考えるばかりではなく、行動して、体験して、感じてほしいですね。
人間は、本やテキストで得られる情報よりも、五感で得られることの方がはるかに多いですから。
慎 泰俊(しん てじゅん)さん
認定NPO法人Living in Peace理事長
・1981年東京生まれ。32歳(2014年3月現在)。
・朝鮮大学校政治経済学部法律学科卒、早稲田大学大学院ファイナンス研究科修了。
・金融業界での仕事の傍ら、2007年に認定NPO法人 Living in Peaceを設立。
・カンボジアやベトナムなどで貧困層に日本初の「マイクロファイナンスファンド」を企画。
・国内では、児童養護施設向けの寄付プログラム「チャンスメーカー」を実施。