子どもたちが、
自分らしい人生を歩める世の中に。
大前 はるよ(おおまえ はるよ)さん
兵庫県議会議員(政治家)
「なりたい自分が見つかる教育環境づくり。」
- ?政治家としての取り組みを教えてください。
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生まれ育った兵庫県をもっといい街にしていくために、さまざまな取り組みを行っていますが、その中でも教育に特に力をいれています。
私たちの親の世代は、いい学校に入り、いい会社に入れば、一生安泰といった時代でした。
でも、今は会社に就職しても終身雇用が保証される時代ではありません。そもそも、いい学校やいい会社の“いい”も人によって異なりますよね。
より自分らしい生き方を見つけることが問われる時代になっていると思います。もちろん、早くから人生の目標がはっきりしていて、高校選びの段階から、自分で資料を集めて、慎重に進路を選んでいる子もいます。
でも、目標がない子もいますよね。
そんな子たちが、どうすれば、目標が見つかり、夢が叶えられるようになるか。
そんな手助けをできればと思っています。 - ?具体的には、どのような取り組みを行っていますか?
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自分自分の未来に期待を持つには、
1. 自分に自信を持つこと
2. 社会とのつながりを感じられる時間を増やす
3. 世の中にはさまざまな生き方や働き方があり、どんな仕事もやりがいを見出すのは自分自身であることを知る
4. 身近にじっくり話を聞いたり、自分を理解してくれる大人がいる
の4つが大切だと思っています。ですが、実際は難しいですよね。
そもそも子どもたちが今みえている将来の選択肢って、あまりに少ないと思うんです。親の仕事とか、スポーツ選手とか、ミュージシャンとか、知っている仕事についてはイメージがつくかもしれませんが、世の中にはもっともっといろいろな仕事があります。
私自身、高校卒業後に社会をいろいろと経験したことで、今の仕事にたどり着きました。そこで、社会人の具体的なロールモデルを持ってもらうために、それぞれの分野で活躍している社会人の話を聞く機会を普通科、専門学科を問わず増やしていきたと考えています。
また、これまでの統計や県の施策をもとにキャリア教育の充実もはかっていきます。
大学で学びを深める前段階として、商業、工業、農業などの専門学校(高校)の専門性を高め、スペシャリストの育成を目指しています。
以前は、兵庫県の公立学校がでは専門学科を選びにくい仕組みだったのですが、普通科と同じように選びやすく変えました。社会や仕事についての専門的な知識を得られる環境を整えることで、将来のイメージも広がり、必要なスキルや経験も具体的になる。
そうすれば、進路選択の幅も広がり、より自分らしい進路を選ぶことができると思っています。
「街の人々とふれあうことで知った政治家の使命。」
- ?高校卒業後、すぐには政治の世界には入りませんでした。
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高校卒業後は、大学に進学せず、しばらくアルバイトをして過ごしました。
そののち専門学校に進んで、洋菓子メーカーに就職したのですが、あるとき、自宅の階段から落ちて、足を骨折し、しばらく働けなくなってしまったんです。
当時、衆議院議員だった父親の選挙が迫っていたので、手伝わざるを得なくなり、動けない間、父親の選挙事務所で手伝いをしていました。それまでは、父のことは尊敬していたものの、政治家に対しては、たまに悪い意味でマスコミを賑わしたりして、あまりいい印象を持っていませんでした。
ですが、父は“障がい者福祉”に積極的に取り組んでいたようで、事務所には、いろいろな方がやってきて、福祉の事や街づくりについて話し込むのを見て、印象が変わったんですね。
陰では、人のために様々な取り組みをしている。
政治家とは、人の役に立つために汗をかく仕事なんだって。 - ?そして、政治の世界に入られたのですね。
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まずは父の秘書として、働きはじめました。
父に代わって、いろいろな会合に代理出席をしたり、市民の方々の相談を受け付けたり、商工会議所の青年部に入ったり。秘書になる前は、自宅の西宮は寝に帰るだけの場所だったのですが、秘書になってからは、知り合いがどんどん増えていきました。
知り合いが増えると、街の一つひとつに表情を感じるようになって、まるで、以前まではモノクロだった街並が色づいていくように感じました。
その一方で、ひとりひとりは、いろいろな個性があって、アイデアもあるのに、お互いのつながりがないことも知りました。
この人たちがつながれば、もっと街はよくなるのに。
それなら、私が媒介となって、みんなをつなげて、いい街をつくっていこう。
そう思ったんです。それで、県議会の補欠選挙のタイミングで、出馬しました。
「無気力だった高校時代。
反対を押切り、社会に飛び出した。」
- ?高校時代は、どんな将来を描いていたのですか?
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高校時代は、本当に無気力でした。
進学コースに入学したものの、あまり勉強にも身が入っていませんでした。
部活は軽音楽部でしたが、活動も週1回程度。
“これ”と熱中できるようなものはなかったですね。将来に対しては、漠然と人に役に立ちたいなと思っていたくらい。
中学の頃に摂食障害だったこともあり、心理学を勉強して、カウンセラーにでもなろうかなと思っていました。 - ?カウンセラーを目指していたのに、高校卒業後フリーターになったのはどうしてですか。
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高校2年の時、父が市長選に出馬しました。
長年、県議会議員を務めてきたこともあり、父も家族も当選できると思っていました。結果は、28票差で落選。
父の寂しそうな背中を見たのは、初めてでした。その時悟ったんです。
父の落選を目の当たりにして、人生とは、築き上げてきたものが、時に一瞬で崩れされるんだ、ということを。
今のままで、自分は大丈夫なのか?
大学に行く意味も見出せないまま進学して、何になる。それで、自分の好きに生きていこうと思ったんです。
高校を卒業後は、バイトに明け暮れました。
サービス業は楽しかったですね。
失敗も多かったですが、「ありがとう」と言われるのはうれしいですし。高校まで世間知らずに暮らしていた私にとって、あの頃の経験はとても貴重な財産になっていますね。
「人と違うことを恐れないでほしい。」
- ?熱中できるものがない高校生も多いと思います。
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少しでも興味があれば、一回でもいいのでチャレンジしてほしいですね。
そして、いろいろな人と会ってほしい。
人と会うと、自分がいかに無知であるかがわかりますし、自分が正しいと思っていた価値観が、実はそうじゃないんだと知ることもあって、自分の世界がぐっと広がります。私が高校時代、無気力だったのは、物事に対して、これはこうあるべきなんだと勝手に思い込んでいたからです。
行動することを最初から諦めていたのかもしれません。
でも、そうじゃないことがたくさんあるんですよね。人と同じことをしていると、安心しますよね。
「みんなと同じ。私は間違っていない」って。
行動すれば、目立ってしまったり、人と違ってしまうかもしれません。
でも、もしかしたら、人と違うことは、いいことかもしれませんよ。
人と違うことを照れないでほしい。
人と違うことを恐れないでほしいですね。そうすれば、きっとどこかにあなたにしかできない、何かが見つかると思いますよ。
大前 はるよ(おおまえ はるよ)さん
兵庫県議会議員
・1984年兵庫県生まれ。30歳(2014年3月現在)。
・辻学園調理技術専門学校卒。日本大学通信教育部法学部政治経済学科在学中。
・高校卒業後、菓子メーカー勤務、議員秘書などを経て、地元の兵庫県議会議員へ。
・地元西宮をはじめ、兵庫県をよりよい街にするためさまざまな政策を実施。
・学校における社会教育や道徳教育を推進するなど、教育改革に重点的に取り組む。