どんなに困難な世界でも、
人びとの権利と尊厳を守り続ける。
吉岡 利代(よしおか りよ)さん
国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ シニアアソシエート
「人が、人らしく生きていく権利を守る。」
- -ヒューマン・ライツ・ウォッチの取り組みを教えてください。
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ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)は、世界最大規模の国際人権団体です。
世界中の人権問題をなくすことを目指して、90ヶ国以上で活動しています。人権問題と一言でいっても、なかなかイメージしにくいかもしれませんが、人権とは、本来、人が、人らしく生きていく上で守られるべき権利のこと。
すべての人に関わる問題で、実は身近な話でもあるんです。たとえば、学ぶ機会を持つことも人権の一つ。
当たり前に学校に通えるのも、実は人権が守られているからなんです。でも、世界に目を向ければ、私たち日本人が当たり前に持っている権利を侵害されている人たちがたくさんいます。
戦争によって、自分の国に住むことができなくなってしまった難民。
学ぶことはおろか、強制的に労働させられ、兵士として戦場で闘わされる子どもたち。
社会的な迫害を受け続ける女性や障がい者などの社会的弱者。世界では、時代とともに、さまざまな人権問題が生まれています。
- —具体的には、どのように解決していくのですか?
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ステップとして3段階あります。
まずは、調査です。
HRWには、世界90ヶ国に調査員がいて、不当に人権が侵されていないかを調べています。たとえば、今、シリアでは長く内戦が続いています。
現地では、多くの民間人も被害にあっています。
そこで紛争地に足を運び、死体の数を数えたり、落ちている弾の破片をかき集めたりしながら、民間人への不当な虐殺が行われていないかなどを調べたりするわけです。そこで、人権を侵すような行為が見つかれば、次のステップとして、その事実を国際社会に発信していきます。
私たち東京オフィスは、日本のマスコミにその情報を伝えます。
同じように世界中のHRWが各国のマスコミに情報を発信することで、世界に人権侵害の事実を伝えていきます。そして、最後のステップが、変革です。
多くの人が事実を知ることで、世論が生まれます。
世論が生まれれば、国が動きます。
政府に働きかけることで、政府を動かし、実際の解決へと導いていきます。
日本は経済大国ですし、外交上の力もとても強い。
その力は経済的な観点だけでなく、人権侵害がおこなわれている国に対してもそれを止めさせる力になるのです。 - —成功した例としては、何があるでしょうか?
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人権問題は短期的に解決できるものではないのですが、その中で、北朝鮮の人権問題は一つの成功事例です。
北朝鮮は、世界から孤立した閉ざされた国です。
そこで、まずは国連が調査する必要性をずっと日本政府に訴えていました。
訴えを続けたことで、日本政府が主体となり欧米諸国をリードして、調査団がつくられました。もちろん、拉致問題はまだまだ解決していませんが、解決へ向けた一歩を踏み出すことができたと思っています。
「自分の力で、国際社会に貢献したい。」
- —国際協力の世界に興味を持ったきっかけは?
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小学生の頃、テレビでたまたま観たルワンダ虐殺のニュースがきっかけです。
わずか数カ月の間に、何十万もの人々が虐殺された衝撃的な事実と、平和な日本で安心して暮らしている自分とのあまりのギャップにただただ驚きました。その時から、大人になったら、少しでも笑顔を増やせるような仕事をしたいなと思ったんです。
生まれてきたときの地球より、死ぬときの地球の方が少しでもよくなっていてほしいって。当時、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の代表として、国際協力の世界で活躍していた緒方貞子さんに憧れていましたね。
中学生になると途上国の現状を自分の目で見てみたくなり、NGOが主催するスタディーツアーの説明を聞きにいったりしました。
スタディーツアーとは、NGOのスタッフと一緒に途上国を回り、現地の人たちから話を聞いたりするツアーの事です。
ただ、何度も親に参加したいと伝えても「絶対にダメ」。
一人娘だったこともあり、ちょっとでも危険そうなことはできませんでした(笑)。 - —その後、高校からアメリカに留学されていますね。
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高校、大学をアメリカの学校に通いました。
大学に進学する頃には、国際協力の仕事を目指して、中国の農村について調査したり、JICAのプログラムに参加したり、国際関係論や開発経済といった国際協力に関わる授業もたくさんとっていましたね。ただ、すぐには国際協力の仕事にはつかず、新卒では外資系金融企業に入りました。
国際協力の仕事をするなら、まずは世界の経済情勢や金融ビジネスの仕組みを理解しなければならないと思っていました。そして、2年程、証券アナリスト見習いとして経験を積んだ後、UNHCRの駐日事務所に入りました。
- —憧れていた緒方貞子さんが代表をつとめられていた国連の組織です。
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実は、UNHCRで働くのは半年くらいのつもりだったんです。
というのも、JICAが運営する青年海外協力隊に応募していて、ガーナに赴任することが決まっていたんです。
UNHCRは、出発までの間だけ国内で国際協力の仕事に触れようと、勉強させていただくつもりでした。なのですが、出発の直前に、また親の猛反対にあってしまい(笑)。
それもありUNHCRで、インターンではなく、正式なスタッフとして働きはじめました。憧れの国連でしたが、思い描いていた世界とは、少しイメージが違っていました。
とても大きな組織ですし、実力もない入ったばかりの私ができることはものすごく小さい。
国際協力の世界に身を置きながらも、経験不足を常に感じていました。
自分の足で現場に立ち、もっと専門性を身につけて、力をつけなきゃダメだと思ったんです。ちょうどその頃、HRWが日本にオフィスをつくるという話を聞きました。
国際協力の舞台で、外交力のある日本の力をもっともっと発揮させたい、という思いをずっと持っていた私にとって、日本政府への働きかけを通じ、国際社会で理不尽な思いをしている人たちを一人でも減らしていく仕事は、まさに人生のミッションだと感じたのです。
「嫌いで飛び出した日本が、いつのまにか大好きになっていた。」
- —高校からアメリカで過ごされています。
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中学の頃から、人と同じことをするのが苦手でした。
みんなで同じ制服を着て、同じバッグを持って。
まるで人と同じであることがよくて、人と違うことは悪いのだろうかと、中学の終わりの頃は、3ヶ月程学校に行けない時期があったくらい、ふさぎ込んでいました。1ヶ月だけ日本の高校に通ったのですが、やっぱりもう飛び出したいと思って、父がアメリカに駐在していたこともあり、思い切って、アメリカに渡ることにしました。
これが、私の人生で大きな転機になりましたね。
通ったのは、ワシントンD.C.にある地元の高校。
生徒たちは、同じ制服どころか、寝間着のような格好のまま登校する子もいれば、車で通学する子もいる。とても自由な環境でした。アートに熱中する子がいれば、スポーツに一生懸命な子もいる。
もちろん勉強を頑張っている子もいる。
一人ひとりが、自分の人生をのびのび生きているように見えました。私自身も、最初は語学の壁がありましたが、陸上部の長距離で頑張っていたら、最後はキャプテンに選ばれました。
日本人だろうと、ちょっと言葉が話せなくても、ちゃんと実力を認めてくれる。
そんな環境が心地よくて、自分らしさが解放されていきましたね。 - —個性を重視する環境は、日本とは異なりますね。
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アメリカは、大学受験の制度が日本とまったくちがうことも影響していると思います。
常に、あなたは何ができるの?何が得意なの?ということが重視されるんです。
もちろん勉強を頑張ることでもいいし、ボランティア活動でもいいし、スポーツでもいい。
光るものを評価してくれるんです。みんなそれをわかっているから、すべてを万遍なく平均的に行うのではなく、自分の興味関心を追求したり、得意を伸ばそうとするんです。
誰もが、自分らしさを磨くことに高校3年間を使っていました。
- —吉岡さんは、どんな個性を磨いていたのですか?
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他の文化を学び合う国際クラブに所属していて、同級生のニカラグア人に習って、ニカラグア料理をみんなで作って食べたり、私は浴衣を着て、日本の文化を伝えたりしていました。
日本が嫌いで飛び出したのに、外に出てみたら、日本人はみんな優しいし、ご飯もおいしい、日本のポップカルチャーは海外でも大人気だったし、協調性もあるし、いつの間にか日本はいいなって気づかされました。
異文化に身を置くことで、日本のよさに気づくとともに、一人ひとりが違うことって、本当におもしろいって思ったんです。
異国文化を受け入れ、多様性を愛する個性が、私の特徴になっていきました。
せっかく高校3年間をアメリカで過ごしたのだから、ここで帰国したら、もったいない。
さらに多様な人たちに出会うために、大学もアメリカで過ごすことに決めたのです。
「ありのままの自分で、大丈夫。」
- —高校生からすると、人権の問題は遠い国の出来事のように感じるかもしれません。
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現在、HRWでは、「学校に軍隊はいらない(https://www.facebook.com/GakkoniGuntaihaIranai)」というキャンペーンを行っています。
世界には、学校が軍事目的に使われている国があります。
勉強したいと声を上げれば、攻撃されることもある。
日本にいれば、学校に通えることは、多くの人にとっては当たり前ですが、それが叶わない人がたくさんいるのです。私たちが不自由なく生きていけるのは、実は人権が守られているからなのですね。
そんな事実を前にすると、自分の悩みなんて小さいんだって思えてしまいます。今の高校生の皆さんは、東京オリンピックがある2020年の頃には、多くの人たちが社会に出ているでしょう。
まさに将来の日本をつくっていく世代ですよね。その頃には、日本と海外との境界は、どんどんなくなっていると思います。
日本にもたくさんの外国人がいるでしょう。世界の人たちと共存していくためにも、世界に目を向けて、世界で起こっている現実を知ってほしいですね。
そして、自分に何ができるのかをぜひ考えてほしい。私は、アメリカに行って、日本人の素晴らしさを実感しました。
日本人の勤勉さや優しさ、協調性って、とてもすごいと思うんです。
自分に自信を持って、世界にどんどん飛び出して活躍してほしいですね。
吉岡 利代(よしおか りよ)さん
国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ シニアアソシエート
・1984年東京生まれ。30歳(2014年3月現在)。
・高校からアメリカに留学し、米タフツ大学卒。外資系銀行、UNHCR駐日事務所を経て現職。
・世界最大級の国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ東京オフィス創設メンバー。
・世界90ヶ国以上で人権状況を調査・モニターし、その現実を世界に発信し続けている。
・日本政府に政策提言などを行い、世界の人びとの権利と尊厳が守られる社会を目指す。