世界を変えるU33

教育で世界を変える

MixiCheck

30年後の世界を想像した、
次の教育をつくる。

松田 悠介(まつだ ゆうすけ)さん
NPO法人 Teach For Japan 代表理事

松田 悠介

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Interview Q1.どんな問題に取り組んでいますか?

「すべての子どもが、成長できる教室。」

—今、日本の教育が抱えている課題を教えてください。

今の子どもたちは、 30年後、40年後の日本を背負っていく人たちです。
30年後、40年後がどんな世界になっているのか、その世界では、どんな力が求められるのかを想像しながら、そこから逆算して、今、子どもたちに与えるべき教育を考えなければなりません。

現在、学校で行われている教育は、どうでしょうか?
果たして30年後を想像している教育環境になっているでしょうか。
今学校で行われている教育ができた頃は、戦後間もない日本。
いわば大量生産が主流だった時代に対応できる人材育成のための教育でした。

1人の教師に対して、生徒が30、40人。
右向け右のように、一つの号令で全員が動く世界ですよね。
「これがテストにでるので、暗記しましょう」というマニュアル型の教育でした。

—確かに、何年も前から教育のベースは変わってないような印象がありますね。

否定する必要は、まったくないと思っています。
むしろ、そのような教育があったからこそ、わずか30年足らずで、日本は焼け野原から経済大国になることができたわけです。

ただ、時代が少しずつ変わっていくなかで、これまでの教育をずっとやっていてはダメだと思うんです。

オートメーション化やグローバル化が進めば、いままであった仕事はどんどんなくなり、新たな仕事を生み出さなければならない時代に入っているわけです。

環境、資源、高齢化、社会福祉と課題も山積されていますよね。
これまでのように1人の強力なリーダーがいて、みんなが真似をしているだけでは、もう対応できません。
同時多発的に起こる課題を解決できる人が、たくさん必要になっているわけですね。
逆にいえば、そういった人材が育たなければ、日本という国が立ち行かなくなるわけで、危機的状況でもあるのです。

—Teach For Japanは、変わりゆく時代に即した教育改革を行っていくのでしょうか。

住んでいる場所、家庭環境、経済状況にかかわらず、30年後、40年後の日本を背負い、世界に貢献できる、そしてひとりひとりが自立していける知識やスキルや思考を提供する学習環境を全国につくっていきたいと思っています。

現在は、全国の自治体と組んで、先を見据えた教育を実践する教員を既存の学校にご紹介しています。

既存の教育や教員の方々を否定するわけではなく、私たちのような新しい価値観と融合することで、多様な教育を生みだしていきたい。

一つの価値観に縛られるから、はみ出た子をいじめたり、尖った人材が育たなかったりするわけです。

多様な価値観を受け入れ、それを活かせる教育になれば、日本の未来はぐっと変わると思います。

先を見据えた教育を実践する教員を育成し、既存の学校にご紹介しています。

Interview Q2.今の取り組みをやろうと思ったきっかけは?

「いじめられていた私には、一緒に考えてくれる先生がいた。」

—元々、松田さんは体育教師でした。教育に目覚めたきっかけを教えてください。

中学生の頃、体が小さくて、いじめられていました。
親にも相談できず、周りの大人も気づいてくれませんでした。
ツラく、孤独な日々で、たった一人だけ気づいてくれた先生がいました。

先生は、私を慰めるわけでもなく、ただ一言、「一緒に強くなろう」と言ってくれたのです。

体を大きくするには、どうすればいいか。
先生は一緒に調べてくれました。
カルシウムとマグネシムを2:1の割合で摂取する。
成長ホルモンが分泌される夜10時から2時までは睡眠をとる。
筋肉を効率よく鍛えるために、トレーニングは2日に1度。

成長期がやってきたこともあったのでしょう。
私の体はどんどん大きくなり、いつしかいじめもなくなっていました。

そして、大嫌いだった体育が得意科目になり、将来は体育の先生になると心に決めました。

—大学で教職を取得し、卒業後、都内の中高一貫校で体育教師として赴任します。

こちらが向き合えば、生徒も応えてくれる。
全力でぶつかっていけば、生徒たちの心に何かを残すことができる。
教員は想像通り、やりがいのある仕事でした。
多くの先生も、熱く、子どものことを真剣に考えている方ばかりでしたね。

ただ、その中にごくごく一部の先生たちは、生徒ではなく、黒板と向き合っていました。
背中を向けていれば、生徒たちも授業を聞きませんよね。
すると学級崩壊が起こります。
そんな先生に限って、生徒たちのせいにしてしまっていたのです。
「あいつらがうるさくて授業にならん」と。
本当は「そんな環境を作り、指導力がない」ことが原因なのに。

きっとその先生も最初は熱かったはずです。
子どもが嫌いで、先生になる人はいませんから。
ただ、いつの間にか、その思いがなくなってしまった。

その時に、子どもたちと向き合いながら、志を同じくする仲間たちと最高の教育を提供できる学校をつくりたいと思ったんです。

当時の私は教育現場の事は少しはわかっても、学校経営は素人(しろうと)です。
リーダーシップとマネジメント学ぶために、アメリカのハーバード大学に留学しました。

そして、帰国後、社会全体を巻き込みながら理想の教育を実現するため、Teach For Japanを設立しました。

体育教員時代。部活指導では陸上部を担当し、全国大会に出場することもできました。

Interview Q3.どんな高校時代でしたか?

「早稲田を蹴って日大へ。覚悟をしめしたかった。」

—すでに体育教師を目指していましたが、どんな高校時代でしたか?

陸上に明け暮れる毎日でした。種目は100mでした。
ただ、友だちに誘われて入っただけなので、最初の頃は遅かったですね。
結果も出ず、練習もいかにサボるかばかり考えていました。

体が大きくなるにつれ、予選を走ってもビリだったのが、準決勝に進出したりと、少しずつ結果がでるようになっていきました。

それまでは何の取り柄もありませんでした。
テストもビリ。運動もビリ。勉強も嫌いだし、楽しくもありませんでした。
だから、陸上で結果が出始めると、ドンドンのめり込んでいきましたね。
タイムは、11秒前後までのびて、最後は東京都の選抜選手の候補に選ばれました。

あまりに熱中し過ぎて、部活は高校3年の11月まで続けました。

—気がつけば、大学受験直前ですね。

先生から、
「このままの成績じゃ、大学に行けないぞ。体育の先生にもなれないぞ」
と言われてしまって、むちゃくちゃ焦りました。

体育教師って、体育が好きならなれるものと思っていましたから(笑)。

それから、1日14、5時間は勉強しましたね。
その甲斐あって、多くの体育教師を輩出していた日本大学文理学部体育学科卒に合格。

—短期間で、ものすごい集中力ですね。

実は日本大学とともに、早稲田大学も受験していたんです。
当時の私の成績で言えば、記念受験のようなものでしたが、周りからも「松田は勉強ができない」と思われていたので、見返したくて受けたんです。

そうしたら、なんと合格してしまいました(笑)。

するとある先生が、「当然、早稲田に行くんだろう」と言ってくるわけです。
合格したのは、商学部です。
高校1年生の頃から体育の先生になりたいと公言していて、陸上部の部長で、体育祭の実行委員もやっていた。

誰もが、私の夢を知っていると思っていたのに、偏差値が高く、有名大学というだけで、日本大学に行くよりも、早稲田大に行く方が幸せになれる、といってくる価値観にとても違和感を感じました。

日本の教育というものを考えるキッカケになりましたね。

—夢を叶えるために、日本大学の体育学科に進学されたわけですね。

この道に進む、という覚悟を周りにも、自分にもしめしたかったんです。
なので、大学4年間は、体育の先生になるために、めちゃくちゃ勉強しました。
私にとって、いい先生になるためには、知識の幅も広げる必要があると考えていたのです。
幅広い知識を身につけるために、運動生理学といった体育関係の授業だけでなく、フランス語や英文学なんかも学びました。
通常130単位で卒業できるところ、192単位を取得しました。

周りの同級生たちと、目的意識がまったく違っていたと思いますね。

大学受験が、日本の教育を考えるきっかけになりました。

Interview Q4.高校生のみんなにアドバイス!

「傷つくことを恐れず、自分の枠を飛び越えてほしい。」

—今の若者は夢がない、とも言われますが。

それは、まったくの間違いだと思います。
子どもの頃は、みんないろんな夢をもっていたはずです。
でも、「現実を見ろ」と言わんばかりに、教育を受けはじめると、誰もが夢を語らなくなってしまうんです。
大人になるにつれ、チャレンジをする前に、夢がどんどん小さくなってしまう。

これでは、夢や目標をもてなくても、不思議じゃないですよ。
一生やりたい仕事なんて、そんなにすぐに見つかりませんから、まずはチャレンジしてほしい。

ファミレスに入ったら、ひとまず何か注文しますよね。
食べてみるからこそ、自分の舌に合うかどうかがわかる。
味が合わなければ、別のメニューを頼めばいいだけです。

それと一緒ですよ。
ひとまず何かやってみることは大切だと思います。

—何も思いつかないときは、何をすればいいでしょうか。

ファミレスで食べたいものがなくても、何かは注文しますよね。
それと同じで、最初は、直感でいいと思います。

その根底には、漠然とでも感じている問題意識や興味関心があるはず。
その想いを大切にしてほしいですね。
若いうちは、リスクなんてない。プラスしかないですから。

行動しないと、自分の枠は超えられません。

自分と違う考え、知らない物事、多様な人に触れることで、初めて人は考えさせられる。
枠を超えることでしか、学びはないと思うんです。

居心地のいいところに留まっていれば、楽ですよね。
学びがなくても、傷つくこともない。
でも、そこから飛び出してほしい。

そうすれば、きっと自分が大切にしたいことがみつかるはずです。

居心地のいいところに留まらず、自分の枠を超えてください。


松田 悠介(まつだ ゆうすけ)さん
NPO法人 Teach For Japan 代表理事

・1983年千葉生まれ。30歳(2014年3月現在)。
・日本大学文理学部体育学科卒。米ハーバード教育大学院修士課程卒。
・中学の体育教師を経て、渡米。帰国後、Teach For Japanを創設。
・日本の教育課題を解決するため、次世代教育の開発と実践する教師の育成を行う。
・現在、選抜を通過した26名のフェローが関西・関東の小中高校に教師として赴任。