アウトサイダーの立場から小説を書く人に焦点を
イギリスの現代小説からアウトサイダーの声を聴く
私がイギリス文学研究を志したのは、イギリス人作家D.H.ロレンスの小説を読んだことがきっかけでした。ロレンスは炭鉱夫の息子としてイングランドの田舎で育ち、奨学金を得て高等教育を受けました。当時、作家といえば一流大学を出た中流階級出身者が主流のなか、労働者階級出身のロレンスは階級制度や現代文明を激しく非難する一方で、当時のイギリスではタブーであった性愛を描きました。ロレンスの代表作の一つ『チャタレイ夫人の恋人』は、上流階級の女性と労働者階級の男性が性愛によって階級を越えて結ばれるというその内容と赤裸々な表現が、当時のイギリス社会で背徳的であるとされ、出版禁止になりました。
一般的な日本の家庭で不自由なく育った私は、大学院に進学してロレンスについて研究しながらも、社会に対する彼の容赦ない批判に対して相容れないものも感じていました。それが一転したのは、大学院在籍中の25歳のときにロレンスの出身地であるノッティンガムの大学院へ1年間留学したときのことです。当然ながら現地では日本人はマイノリティ。さまざまな場面で差別や偏見に遭遇しました。それまでの自分は差別とは無縁だと思ってきましたが、環境が変われば誰もが差別される側、つまりアウトサイダーになりえること、そして私自身も差別につながる偏見をもっていたことに気づかされたわけです。そうして改めて、文学を通して階級社会の伝統に異を唱え新しい社会を作ろうとするロレンスの作品のエネルギーに惹かれるようになりました。
以来、アウトサイダーの立場から発言する現代イギリス作家の声を拾うことで、さまざまな差別や不平等について考えたいと、ロレンスのほかにも、フェミニストとして女性の地位の向上を訴えたヴァージニア・ウルフ、同性愛者であることを当時の社会で公表できずに苦しみながら階級間、異文化間の人びとの交流を描いたE.M.フォースター、5歳で日本から渡英し、格差社会、戦争や紛争の災禍に関心をよせるカズオ・イシグロなどの作品を研究しています。
現代イギリス小説を研究する麻生教授
社会を変えるために文学を研究する
作家たちが閉鎖的なイギリス社会を変えるために作品を書いたように、文学研究の意義は作家たちのその主張をアップデートし、究極的には世の中をより平和にし、人びとが暮らしやすくすることにあると考えています。近年の研究成果としては、イギリス社会において家事労働に従事した専業主婦の苦しみとよろこびを描いたヴァージニア・ウルフの小説を取り上げ、『終わらないフェミニズム --「働く」女たちの言葉と欲望』(共著)という本を出版しました。
専業主婦というと共働きの家庭が増えた日本においては時代遅れといったイメージもあるかもしれませんが、米国では2014年に『ハウスワイフ2.0』という本が出版され、これまでにない新しい主婦のあり方が提示されました。それは、会社を辞めて田舎へ引っ越し、自然の中でゆったり子育てをしながらインターネットを利用して手作り品販売で収入を得つつさまざまな年代の人たちとつながる、という主婦像で、これはまさに100年近く前にウルフが夢想した女性の現代版ではないかと考察しました。
仕事をするという選択肢もないままに家事と育児を担っていた当時の孤独なイギリスの女性たちの姿を想像し、それを現代の『ハウスワイフ2.0』現象と結びつけてアップデートすることは、今の日本社会における子育てや男女格差の問題をより深く理解し、それを改善していく助けにもなるでしょう。社会を変えるというと大げさに聞こえるかもしれませんが、アウトサイダーとしての作家の声を拾い、それを現代のコンテクストに向けて発信することは、多様な人々を尊重し、誰もが生きやすい社会を作ることにつながると考えています。
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