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杏林大学、医学部、国立台湾大学医学院と学術交流協定を締結
2025/7/24
杏林大学 医学部は、2025年7月4日、国立台湾大学(以下、台湾大学)医学院と学術交流協定を締結した。
台湾大学は1928年、台北帝国大学として創設された台湾を代表する名門大学であり、1945年に現在の名称へと改称された。
台湾大学初代医学院長であった杜聡明先生は、杏林大学創立者・松田進勇先生の恩師でもあり、両大学の間には深い縁がある。
この協定の締結は、2024年11月に台湾大学医学院長・倪衍玄(Ni Yen-Hsuan)先生が訪問団を率いて杏林大学を訪れ、松田理事長らとの懇談を行ったことを契機として実現したもの。
協定調印式出席のため、松田剛明理事長、平形明人医学部長、久松理一医学部消化器内科学教室教授、諏訪部直子国際交流課長が台湾を訪問した。
式典では、倪学院長より「本日は両大学にとって新たな出発点です。今後、学生の相互交流や共同研究を通じて、さらなる理解と信頼が深まることを願っています」との挨拶があった。
続いて、松田理事長は台湾大学による温かい歓迎への謝意が述べ、「杏林大学とご縁の深い台湾大学と協定を締結できることは大きな喜びであり、両大学の末永い交流と発展を心より期待しております」と結んだ。
その後、平形医学部長と倪学院長による協定書の署名が行われ、記念品の交換をもって式典は締めくくられた。
調印式の会場となった医学人文博物館は、1907年に日本人建築家・近藤十郎氏により医学専門学校の校舎として設計された建物で、1930年に改修されたクリーム色を基調とする外観は、シンプルながらも繊細かつ優雅な趣を醸し出しており、時の流れを感じさせる佇まいで、倪学院長は医学生時代、この建物で授業を受けたとのこと。
老朽化とキャンパス整備の計画の中で一時は取り壊しも検討されたが、医学院の歴史的象徴として保存を望む関係者の声を受け、修復・保存が進められ、現在は博物館として再生されている。
■詳細リンク先(https://www.kyorin-u.ac.jp/univ/center/international/news/1970/)
台湾大学は1928年、台北帝国大学として創設された台湾を代表する名門大学であり、1945年に現在の名称へと改称された。
台湾大学初代医学院長であった杜聡明先生は、杏林大学創立者・松田進勇先生の恩師でもあり、両大学の間には深い縁がある。
この協定の締結は、2024年11月に台湾大学医学院長・倪衍玄(Ni Yen-Hsuan)先生が訪問団を率いて杏林大学を訪れ、松田理事長らとの懇談を行ったことを契機として実現したもの。
協定調印式出席のため、松田剛明理事長、平形明人医学部長、久松理一医学部消化器内科学教室教授、諏訪部直子国際交流課長が台湾を訪問した。
式典では、倪学院長より「本日は両大学にとって新たな出発点です。今後、学生の相互交流や共同研究を通じて、さらなる理解と信頼が深まることを願っています」との挨拶があった。
続いて、松田理事長は台湾大学による温かい歓迎への謝意が述べ、「杏林大学とご縁の深い台湾大学と協定を締結できることは大きな喜びであり、両大学の末永い交流と発展を心より期待しております」と結んだ。
その後、平形医学部長と倪学院長による協定書の署名が行われ、記念品の交換をもって式典は締めくくられた。
調印式の会場となった医学人文博物館は、1907年に日本人建築家・近藤十郎氏により医学専門学校の校舎として設計された建物で、1930年に改修されたクリーム色を基調とする外観は、シンプルながらも繊細かつ優雅な趣を醸し出しており、時の流れを感じさせる佇まいで、倪学院長は医学生時代、この建物で授業を受けたとのこと。
老朽化とキャンパス整備の計画の中で一時は取り壊しも検討されたが、医学院の歴史的象徴として保存を望む関係者の声を受け、修復・保存が進められ、現在は博物館として再生されている。
■詳細リンク先(https://www.kyorin-u.ac.jp/univ/center/international/news/1970/)