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理容師の歴史はどのようなものでしょうか。中世の時代から存在し、剃刀を使うことで現在の理容師とは違う業務を担っていた西欧の理容師の場合と、「髪結い」から始まり独特の髪型である「ちょん髷(まげ)」を結ってきた日本の理容師の場合の歴史を紐解いてみましょう。
西欧における歴史
ヨーロッパでは中世の時代から理容師が存在していたと言われています。役割は髪をカットし、髭をシェービングすることだけではなく、歯の治療をしたり、傷の手当てをしたりと、現在でいう外科的な医療を行っていました。悪いところを切って悪い血を出すという治療法を「瀉血(しゃけつ)」と言いますが、刃物を扱うため理容師が瀉血を請け負っていました。医師は内科的医療を行い、理容師は理容外科医として外科的医療を行っていたのです。
1400年代になると、理容外科医のなかには外科や歯科について未熟な者がいるとされ、理容外科医と医師の間で長い間取権論争が繰り広げられます。そこへ、医師のなかから理容師になる人が現れました。パリの医師で名前をメヤーナキールといい、1540年に理容師となります。その後、彼の弟子が続々と参入して理容外科医は全盛期を迎えます。
1700年代になり、フランスで外科医院が誕生したことから、理容と外科医は分けられるようになります。その後、イギリスでも薬学、外科、歯科などの学理の進歩に伴い、理容と外科は完全に分離されてしまいました。以後、理容業はカットやシェービング、カラーなどの技術によって、人間の身なりを整え、より美しくすることに特化していくことになるのです。
日本における歴史
日本では、古くから「髪結い」が活躍してきました。1200年代の亀山天皇のころ、蒙古襲来の下関において、采女亮(うねめのすけ)という人物が武士の月代(さかやき)を剃って髪結業を行ったのが「床屋」の始まりと言われています。店には床の間が設えられていたため「床の間のある店」が「床屋」になったのだとか。今でも山口県下関市の亀山八幡宮には「床屋発祥の地」の記念碑があります。
江戸時代まで、日本では男女とも着物を着て髪を結うことが当たり前でした。男性は皆、月代を剃って髷を結う、いわゆる「ちょん髷」というヘアスタイルです。女性は既婚の場合には「丸髷」を結っていました。その髪形には流行もあったようで、現在でも和装の結婚式で用いられる「文金高島田」という髪型は、江戸時代に花嫁の髪型としてはやったと言われています。
『床山』という名前を聞いたことがあるでしょうか。現在は主に力士の髪を結う専門職として知られていますが、古くは歌舞伎役者の髪を結いあげていたことから、舞台や映画などで使用するカツラを作る職業でもあります。ちなみに、床山は理容師や美容師の免許は必要ないのだそう。
明治維新により、断髪やパーマネントが海外から流入し、理容師は髪を結う仕事から髪を切る仕事にシフトしていくことになります。理容師と美容師の違いは剃刀を使えるかどうかであり、床屋は理容師で、舞妓さんの顔を作っていた化粧師(けわいし)など、ビューティ寄りの立場が美容師だと言えるでしょう。1947年12月に理容師法が制定され、理容師は国家資格となっています。
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