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ゲームクリエイターの歴史を知ろう

ゲームクリエイターの歴史を知ろう

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ゲームクリエイターの仕事は、その時人々が遊んでいたゲーム機の進化と切っても切り離せません。その時に1番売れているゲーム機で動くゲームソフトを開発することはソフトが売れるために必要なことの1つです 。
ですから、ここではゲーム機の移り変わりとゲームクリエイターの仕事を一緒に紹介します。

1970~80年台

1970~80年台

© TAITO CORPORATION 1978 ALL RIGHTS RESERVED.
1970年台後半、アーケードゲーム『スペースインベーダー」が大ヒットし、これにより、全国各地にゲームセンターができます。当時は画面と入力ボタンが埋め込まれたテーブル型の筐体が流通しており、ゲーマー達はこぞってゲームセンターでこのゲームをプレイしていました。1983年に任天堂より「ファミリーコンピュータ」(ファミコン)が発売され、社会現象となりました。「家庭用ゲーム」というジャンルはこのゲーム機のヒットによって確立されました。
「スーパーマリオブラザーズ」や「ドラゴンクエスト」といった人気シリーズ以外にも、沢山のソフトがミリオンセラーを記録し、市場が急拡大していきました。
この頃は、少人数での開発が主流で、今のような明確な分業制は敷かれておらず、1人が複数の業務を担当していました。

1990年代

任天堂から発売された「スーパーファミコン」が大ヒット。1994年にソニーから発売された「プレイステーション」はさらに高性能になった処理能力で3Dゲームが動くようになったほか、CD-ROMを採用してソフトのさらなる大容量化を実現しました。
この頃から、ハイクオリティなグラフィックスがゲームにとって必要になってきました。ハードの高性能化により、ソフトに入れられるデータの容量が増え、開発体制は大規模化していきます。沢山の素材がゲームに必要になるため、分業化も行われるようになりました。
90年台は、ゲームセンターで「beatmania」が大流行した時代です。現在のゲームセンターに多くの音ゲー筐体があるのは、このタイトルのヒットが市場を新たに切り拓いたからからと言えるでしょう。

2000年代

1990年代までと打って変わってゲームソフトがあまり売れなくなり、2000年代前半は市場の縮小が続いていました。

「プレイステーション」とその後継機種の「プレイステーション2」が家庭用ゲーム機のトップを独走し、大きなシェアを占めているなか、任天堂は2004年に発売した携帯ゲーム機「ニンテンドーDS(以下、DS)」」をリリースし、「脳トレ」ブームを起こすなどのヒットを飛ばしました。
DSはその後も売れ続け、世界で最も売れたゲーム機となりました。さらに、2006年発売の据え置きゲーム機の「Wii」ではリモコン型コントローラーで新しいゲーム体験をユーザーに提供して「プレイステーション2」からトップの座を奪い返します。
これらにより、右肩下がりだった市場は2007年に上向きますが、翌年以降縮小に転じることになります。
この頃、携帯電話向けゲームの市場が立ち上がります。家庭用ゲーム機市場は縮小を続けますが、2009年以降携帯電話ゲーム市場が急拡大していきます。

2010年代

スマートフォンゲームの「パズルアンドドラゴンズ」が大ヒット。これは、携帯電話ゲームのジャンルの1つであるソーシャルゲームの特徴を引き継ぎつつ、パズルゲームとRPGという要素を入れたことでスマートフォン(スマホ)ゲームの代表作となりました。
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大量の類似ゲームが登場するなど、賛否両論ありながらもスマホゲームの方向性を決定付けたタイトルと言えます。
2016年にはカメラを使用したAR(拡張現実)とGPS(位置情報サービス)を活用したタイトル「ポケモンGO」がリリースされブームを巻き起こすなど、スマートフォンゲーム市場は成長を続け、現在成熟の時を迎えています。
ソニーは「プレイステーション4」が世界的に大ヒットし、ハイエンドゲーム機市場でナンバーワンの座を保っています。任天堂は携帯ゲーム機を中心に依然として存在感を示しています。
現在、スマホゲーム市場の急拡大をうけ、ゲーム業界の市場規模は過去最高を記録しています。ゲームクリエイターの活躍の場はますます広がっており、これからゲーム業界を目指す皆さんにはチャンスと言えるでしょう。

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