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どのような歴史をたどって、学芸員という職種は誕生したのでしょうか。ある学芸員の話によると、その歴史には美術館の存在が大きく影響しているようです。ここでは学芸員がどのような経緯で現在のようなかたちになったかについて、大まかな流れを見ていきます。
美術館と共に歩んできた学芸員
もともと美術館や博物館は近代以降にできたもので、美術品は王侯貴族や、日本では大名など、基本的には一部の特権階級が所有していて、広く公に作品を見せるということは、近代以前にはありませんでした。
当然、学芸員という仕事もなく、美術館と共に生まれた仕事のようです。美術館は、最初はそれほど整備されておらず、例えば企業の創業者が美術作品を集めていたように、貴族や成功者のコレクションを公にすることで発展していきました。
当時は、展覧会というより、コレクションを一般に公開するという側面が強かったようです。単純に作品を見せるのではなく、どのように見せるのかという視点がもたれるようになったのは、20世紀に入ってからと言われています。美術館の壁は、白色が多く(業界では「ホワイトキューブ」と呼ばれる)、例えば王侯貴族の部屋にあった作品を何のノイズもないクリーンな空間(白い壁)で見せようとすると、どのようなストーリーで見せていくかが大事になります。
ホワイトキューブの存在により、作品のつながりや文脈を作る仕事のニーズが高まり、どう企画するかが重要視されるようになったようです。
その結果、1950~60年代ごろから、海外の美術館の学芸員に注目が集まりだし、キュレーションという文化が認知されるようになりました。
日本での学芸員は幅広い業務内容が求められる
日本では1951年の博物館法で学芸員の資格に関する規定がされ、「curator」の翻訳として学芸員という呼び名が生まれました。
学芸員は主に資料収集、保管、展示、調査研究といった館運営の全体にかかわる専門職ですが、近年では学芸員を指す言葉として原語である「キュレーター」が使われるケースが増えてきています。
厳密には学芸員とキュレーターは異なるもので、特に欧米のキュレーターは専門知識を生かした企画の立案や、企画展示を実施するための中心的な役割を担うことが基本的な仕事となっています。
日本の学芸員もキュレーターのように展示企画などを考えたりはしますが、そのほかにも学術的な研究や調査、美術館や博物館内の作品の管理・保存など、館の運営業務にも携わっていく場面が多々あります。
日本でキュレーターという呼び名が多く見かけられるになってきたのは、ごく近年のことで、これはインディペンデント・キュレーター(フリーランスの学芸員)が増えてきたことの影響ともいわれています。
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