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はるか昔からある航海の仕事。海運の長い歴史のなかにはさまざまなできごとがありますが、特にタイタニック号の事故の衝撃は大きく、事故をきっかけに船の安全な運航に関するさまざまな制度やルールが変わりました。現在の航海士の役割に至るまでの経緯を説明しましょう。
大航海時代から航海を支えてきた
航海の歴史といえば、ヨーロッパ諸国で15世紀から始まった大航海時代を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。香辛料や生糸などを求めてアフリカやアジアへの航海が発展していきます。また、スペインのコロンブスは大西洋を横断しアメリカ大陸を発見しました。
そのころの記録を見ると、航海士に当たる役職は「Master」と「Master’s mate」(船長の仲間)と記されています。GPSやレーダーなどない時代。コンパスを頼りに、太陽や星の位置を確認しながらの航海は、大変危険の伴う仕事であったといえます。
その後、船が次第に大きくなり船旅が一般に広がると、船長の代理や補佐を務める船員が必要となってきました。「master’s mate」の 「master’s」が消え、「chief mate」(一等運転士)、「second mate」(二等運転士)、「third mate」(三等運転士)と航海士のなかできちんと役割を分担するようになっていきました。
日本で船舶職員の養成が始まったのは1871年。灯台偵察船テーポール号で、外国人によって航海と機関に関する教授が行われました。4年後の1875年に、政府による助成金で三菱商船学校(現在の東京海洋大学)が創立。翌1876年に「西洋型商船船長運転手及機関手免状規則」が制定され、海技従事者への国家試験が開始されました。当時は航海士ではなく「運転手」という名称で、船長、一等運転手、二等運転手の3等級。その後1896年に「運転士」に、1944年の船舶職員法改正により「航海士」に変更となりました。現在の1~6級の海技士(航海)制度になったのは2004年からです。
タイタニックの事故が多大な影響をもたらした
航海の長い歴史の中にはいくたびの悲劇もありました。船の設備的な歴史に重大な影響を及ぼしたのが、1912年のタイタニック号沈没事故です。当時の最新設備を備えた巨大な豪華客船が、初めての航海でカナダ沖の氷山と衝突したのち沈没。1000名を超える乗客、乗員が命を落としたことは大きなニュースとなり、のちに映画化もされました。
これほどの惨事になった原因の一つは、タイタニック号に乗客全員が乗れる救助艇が装備されていなかったことです。この悲惨な事故により、世界規模で船舶の安全確保や救助のあり方が見直され、船にまつわる法律も厳しく改定されました。1914年には、装備の規則を定めた「海上における人命の安全のための国際条約(SOLAS)」が作られ、全員が乗船できる救命艇を備えること、救命訓練を行うこと、モールス無線電信の設置、通信士を乗船させることなどが決定。
その後も改正が重ねられ、現在は世界を運航する旅客船には、救命艇やライフベストなどは人数プラスアルファを装備するよう義務付けられ、毎月ライフジャケットなどの装備品の点検をしたり、実際に救助艇を船から降ろして走らせたり、エンジンチェックをこまめに行うなど、定期的な訓練をするように決められています。訓練の記録簿も監視員が年一回くまなく確認しています。
タイタニック号の事故は、映画に見るような悲劇だけではなく、その後の船の運航や安全に大きな改革をもたらす非常にシビアな遺産となり、今も重要な役割を果たし続けています。
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